
ポスト・シューゲイズ・ユニット、零度poolがEP『春の欄干、愛しい悪魔』を自主レーベルのLade Pool Recordsからリリースした。
零度poolは、多数の文学賞の受賞歴を持つ歌人/詩人であり、ネオンネウロンや放電加工少女など複数の名義で旺盛な活動を続ける木田昨年と、ゴシック/耽美的人形作家であるeerie-eeryの別名義であるlj∮Åによるポスト・シューゲイズ・ユニット。自主レーベルのLade Pool Recordsは、主に木田昨年、lj∮Åによる作品をリリースすること、そして創作における自発性、楽しさ、美しさ、自由を前提として設立された。
EP『春の欄干、愛しい悪魔』は、“無政府状態ポスト・シューゲイザー”という零度poolのコンセプトに沿った、悪魔、比喩であるかもしれず、実体があるかもしれない悪魔とレイドちゃんの関係性の物語を中核に据えた、コンセプチュアルで文学的な作品である。
■ Concept
今作も1stアルバム『絶対零度の夏の骨』に引き続き、レイドちゃんの物語を中核に据えた音楽になります。
レイドちゃんは美しく、音楽や文学が好きで、すこし厭世的な、生き辛さを抱えた女の子、そんな彼女は羊ではなく、狼で、狼のように、悪魔に魂を預けてしまう。
その悪魔はさいあくで、悪魔であり、生きることへの罪悪感の比喩かもしれず、最悪の比喩かもしれない。
それでもレイドちゃんは彼に惹かれてしまいます。
この関係は、レイドちゃんと悪魔の関係は何なんだろう。
悪魔はレイドちゃんのことが好きじゃない、でもレイドちゃんは彼に惹かれている、愛してしまった。
この関係性には名前がない、恋愛ではない、では何なのだろう。
この悪魔は、春の、生と死がうらおもてにあるような、眠りの、祈りの季節特有の錯乱が見せたものだろうか。
この作品を、レイドちゃんと悪魔の物語を、是非お聴き下さい。
■ Statement
悪魔、比喩の、錯乱が見せたかもしれない悪魔。厭世的な、文学と音楽を愛する少女。
彼女、彼らの近しさは、私たち音楽であり文学である人間と、腿骨を響かせる群衆との距離の、反語のような、比喩のようだ。
悪魔は少女を愛さない。少女は悪魔を愛してしまう。少女の眼には映るもの、悪魔の眼には映っているのだろうか? 映っているものは黒だろう、白ではなく愛憐の、介入されることを拒む、美しい二者の黒、黒い愛。
少女は悪魔に魂を預け、悪魔は春の錯乱かもしれず、春の死に魂を預ける少女の希死念慮の速度であるのか、愛するものに魂を預ける凭れ掛かるような、縫い目であるのか。
名前の付いていない関係の、実体はここであり、縫い目は音楽として表明される。
悪魔と少女を繋いでいるものは名前の付かないものであるが、狼の、孤児を主義とする、春の錯乱と愛による倫理の否定と、悪魔と少女の距離の縫い目はここにある。
この音楽を、無政府状態的な、新しい音楽を是非お聴き下さい。
■ Release

零度pool – 春の欄干、愛しい悪魔
□ レーベル:Lade Pool Records
□ 品番:Ladepool:0002
□ 仕様:Digital
□ 価格:¥600
□ リリース:2025/03/07
□ トラックリスト:
1. 鮮明な寝言
2. ディアベッリのピアノ、ディアボロの喉。
3. まっしろな指と春服とけむり
4. 潔癖症ではいられない
*Bandcamp:
https://ladepool0.bandcamp.com/album/–2
*配信リンク:
https://linkco.re/HGvY4t7c
■ Profile
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