polly(ポーリー)が2ndアルバム『Four For Fourteen』を11月4日にリリースした。
この夏、彼らは「刹那(canon)」を皮切りに、「狂おしい(corruption)」「言葉は風船(hope)」「知らない(somewhere)」と、リアレンジを施した過去の楽曲を新たにレコーディングし、立て続けにリリース。pollyにとって新しい何かが始まる合図なのは確かだったが、後日、その想像を優に超えるニュースが発表された。自主レーベル「14HOUSE.」の設立、である。
その知らせと共に届けられたのは、これまでのpollyとは明らかにテイストの異なる新曲「残火」だった。それも、自主レーベル初のアルバムに収録されるというのだ。慣れ親しんだUK.PROJECTを離れ、新しいアルバムを作る。大きな決断だということは想像に難くない。新曲からも並々ならぬ気概を感じたものだった。
そして、ついにリリースされたアルバム『Four For Fourteen』。これが本当に素晴らしい。これまでのpollyを総括し、新たな要素も取り入れ、新境地を開拓した会心作と言えるだろう。彼らには、これまでよりもっと開けた、真新しい景色が見えているに違いない。
pollyは、いかにして過去曲のリアレンジへと向かったのか。そして、自主レーベルという新たなフィールドからリリースしたアルバムに、どのような思いを込めたのか。越雲龍馬(Vo. Gt. Pg.)に訊いた。
インタビュー/文=對馬拓
写真=石間秀耶
■ 発想は逆なんですけど、それでどういう化学反応が生まれるか
- アルバム聴かせていただきましたが、とても良かったです。
ありがとうございます。
- まず、立て続けにリリースされた過去曲のリアレンジはアルバムとは切り離されたものだと思っていたのですが、アルバムに収録されると知って、少し意外でした。アルバムの制作は、元々リアレンジの楽曲を入れようと思って始めたのでしょうか?
2019年の『FLOWERS』から次のアルバムを出すまで一年空くことは決まっていて、その間に前作からのステップを見せていきたかったんですけど、新曲を出すのはすごく惜しいなと思ったんです。自主レーベルを立ち上げることも『FLOWERS』のツアーの頃から何となく考えていまして。
自主レーベルからリリースする一発目のアルバムはフィジカルで出したかったんですよ。というのもあって、作品へのホップ、ステップ、ジャンプというか、過去の曲を新たな作品として解釈しながら、段階を踏んで新作に向かっていこうと。
- 今のモードで過去の曲をもう一回やってみよう、ということなんですね。
そうですね。リアレンジした4曲中、3曲が2018年の『Clean Clean Clean』の曲なんですけど、あのアルバムは「日本人のメロディをどれだけ海外っぽいサウンドに染めていくか」っていうのが僕の中ではテーマで。今回の『Four For Fourteen』は「海外のサウンドをどれだけ日本人のメロディに落とし込めるか」という逆の手法になっているんです。そうなったのは『FLOWERS』がトリガーだったというか。『Clean Clean Clean』の楽曲を今のバンドのモードでやっても全然差し支えないと思ったんですよ。発想は逆なんですけど、それでどういう化学反応が生まれるか、っていう。弾き語りでもちゃんと響くような作品を作りたくなったきっかけが『FLOWERS』なんです。だから『Clean Clean Clean』をどれだけ次作に向けてのステップにしていくか、という意図がありました。
- なるほど。過去のインタビューを読ませていただいたのですが、『Clean Clean Clean』に対して、越雲さんは色々思うところがあると思うんですよ。「自信作だったけど、思ったよりも反応がなかった」と言っていたのが印象的で。そういう思いもあってリアレンジに向かっていったのかな、と勝手に思ったりもしたのですが。
そういうのは全くないですね。個人的に『Clean Clean Clean』は、すごく美しい作品で。pollyのベースとなっているアルバムだと思っているので、それを塗りつぶして新しくしようっていうリアレンジではなくて、違うアプローチもできるというところを見せたかった。『Clean Clean Clean』は、曲のDNAを全部一緒にしようと思ってたんですよ。全く同じフォーマットで、同じカラーに染めようというコンセプトだったんですけど、そういうものがなくなって『FLOWERS』という作品ができて。あのアルバムはもっと色々な方面に向けることができる作品だったから、本来持っている曲の良さを引き出すアレンジをしていくことが、今後のバンドにとって新しい視線になると思って、リアレンジに向かっていったので。『Clean Clean Clean』に対して、悔しさはあったけど嫌悪感は全くなかったです。
- 過去がどうこうというよりは…。
未来に向けて、です。
■ 純粋に自分たちの音楽を続けていくための一番綺麗な手段だったんです
- 自主レーベルの設立は『FLOWERS』のツアーの時点で構想していたとのことですが、きっかけは何だったのでしょうか。
これまで所属していたUK.PROJECTは僕が憧れていたレーベルだし、そこにいる誇りだったりとか、良い面はたくさんあったんですけど、僕はやりたい音楽とか趣味嗜好がコロコロ変わったりするので、自分たちで全部やる方が、より早くその時の自分のマインドと直結する気がしたんです。それに、自分たちでライブハウスに連絡をとって『FLOWERS』のツアーを回る中で、音楽をやっていく楽しさも改めて実感したというか。音楽を長く続けていくための手段が自主レーベルだったんです。
- レーベルに所属していると、どうしても「縛り」みたいなものもありますよね。
「縛り」って言うと聞こえが悪いですけどね。UK.PROJECTにいた時は新しい発見もあったし、色々な人の意見に触れられたけど、どんどん自分の中に欲が出てきてしまって。それがどうしても抑えきれなかった。UK.PROJECTから離れる話をした時も、スタッフが「今後も応援していくし、戻りたかったら戻ってきてもいいからね」って言ってくれて。だから、純粋に自分たちの音楽を続けていくための一番綺麗な手段だったんです。
- UK.PROJECTでやってきたからこそ、たどり着いた結論。
UK.PROJECTにいなかったら、pollyも続いていなかったかもしれないです。
-「14HOUSE.」というレーベルの名前は、どういう意味なのでしょうか。
僕、昔ずっとサッカーをやっていて、サッカーが大好きで。「14」っていう数字が大好きなんですよ。その理由が、昔オランダ代表だったヨハン・クライフっていうサッカー選手の背番号で。
- cruyff in the bedroom(クライフ・イン・ザ・ベッドルーム)の由来となった選手ですね。
それです。ヨハン・クライフは「トータル・フットボール」というサッカーの戦術を体現した人で。個人技だけでなく、チーム全員でどれだけ戦っていくか、っていうサッカーを提示したんですけど。自主レーベルを設立して、ワンマンではなくチームで同じベクトルを向きながら同じ目標を持って、その中で逆算しながら活動していきたいなと。それと「HOUSE」というのは、チームが家、あるいはファミリーだというのをより強調したくなったというか。今の自分を囲んでくれているバンドのメンバーやスタッフがどれだけ自分にとって大切なのか気づいたので、今後音楽をやっていく上で一枚岩となれたらいいな、という意味合いです。
■ とにかく新しいことを提示したかった
- タイトルの『Four For Fourteen』も、pollyの4人で一枚岩となって…という。
そうですね。あとは、『Clean Clean Clean』の頭文字が「CCC」になってて。タイトルはPrimal Screamの『Ivy Ivy Ivy』のオマージュなんですけど、同じ頭文字が羅列するっていうのと、2枚目のフルアルバムなので、過去の作品もちゃんと肯定してるよ、という意味も含めて、「FFF」っていう。自分の中でちゃんとストーリーがあるんです。それと小話なんですけど、Throbbing Gristle(スロッビング・グリッスル)に「Six Six Sixties」っていう曲があって、そのオマージュでもあります。
- サウンド的にも今作はインダストリアルなテイストが随所に見られるので、その点でも繋がりますね。
やっぱりThrobbing GristleとかNine Inch Nailsは大好きで。でもそれ以上に、とにかく新しいことを提示したかった。『Clean Clean Clean』はシューゲイザー直系で、『FLOWERS』では4ADの路線に行って、また次も同じような系統のサウンドにするのも綺麗な形だとは思うんですけど、違うエッセンスを入れたいという気持ちはどうしてもありました。
- となると、前作や前々作とはテイストが異なる「残火(ざんか)」がリード・トラックだったりするのでしょうか。
それに関してはチーム内でも意見がバラバラでして。笑 リード・トラックはないかもしれない。ただ、「残火」はpollyとしては新しいエッセンスを取り入れた作品ですね。本当にギリギリでできたんですよ。元々デモはあったんですけど、完全に僕の趣味に忠実な曲だったので、バンドで落とし込むべきか…という葛藤もありました。でも、メンバーはみんな「この曲は出した方がいい」って言ってくれたのもあって、急遽アレンジも変えて、歌入れの当日に歌詞も書き変えました。おもしろい曲になったかなと。
■ 自分が誰かに手を差し伸べることによって、傷つく人は絶対いる気がするんです
- 特に「残火」に顕著だと思うのですが、現代社会の病理に切り込んでいるというか、そういうものから目を逸らさないで曲にする気概のようなものを感じました。
そういう思いはすごくあります。歌入れの前日、ある芸能人が亡くなってしまう出来事があって、どうしてこんなことになってしまったのか、ってずっと考えていて。でも、それは誰にでも起こりうる現象というか。瞬発的なものでもあったりするし。僕も他人から嫌われやすい人間で、風当たりを感じてきた人間だとは思っているので、それに対して今まで自分が思ってきたことだったり、現在進行形で自分が考えていることをちゃんと嘘偽りなくアタッキーに書いたというか。ロック・バンドの醍醐味は社会の風潮に対して中指を立てることだと思っているので、それは忠実にできたかなと。
-「音楽家」としてこうあるべきだ、という意識が、以前より芽生えたのでしょうか。
それはありますね。「責任」という言葉の重さや考え方は人それぞれだと思うんですけど、僕なりの「責任」をちゃんと持つようになった。以前は自分がやりたいことだけをやってきたけど、今はちゃんと誰かのためになるべきものが音楽だと思っていて。例えば僕自身も、鬼束ちひろさんの曲を聴いて感銘を受けて、生きる糧になった経験がある。そういうものを自分も作らなければならない、という思いはあるかもしれません。
- リスナーに手を差し伸べて寄り添うような優しさがあった『FLOWERS』に対して、今作はかなり鋭利な印象で。ただ、それは決してリスナーを突き放すものではなくて、優しさゆえのものだと感じたりもしました。『FLOWERS』の存在があったからこそ、『Four For Fourteen』にたどり着いたのかな、と。
それはめちゃくちゃありますね。『FLOWERS』は、自分の柔らかい部分をどれだけ出していくか、というのがテーマでもあったんですけど、作り終えた後に、それだけが自分じゃないことに気づいて。端的に言うと、『Four For Fourteen』は表現に対して背伸びしてないんですよ。自分が今何を思っていて、何を抱えて生きていかなくちゃいけないのか、ということを淡々と書いた手記みたいなイメージ。誰かに対して自分から寄っていくというより、独り言。道で偶然すれ違った他人が独り言を言っていたら気になるじゃないですか。それと一緒で、自分がボソボソ喋っていることが誰かに引っかかればいいかなと。それで「みんなはどう思うんだろう?」くらいの感じ。
- その温度感ってすごく大事なんですよ。音楽ってある種「救い」みたいな作用があるのは事実だと思うのですが、「音楽は救いだ」って言うのが嫌な人もいたり。「そんなんじゃないよ」って思うミュージシャンもいたりすると思うんですよ。でも、そういう中で、押しつけがない音楽はすごくフィットするというか。ちょうど良いんですよね。
僕は、例えば有線で流れてくる音楽に対して嫌な気持ちになってしまう人間なんですけど、それって要は誰かを傷つける行為なんですよ。しかも作り手の不本意で。自分が誰かに手を差し伸べることによって、傷つく人は絶対いる気がするんです。それは裏を返せば、誰かを無視する行為でもあるので。人間は手が二本しかないし、時間も限られている。だから自分が立って、歩いて、生きている範囲で何かを発信して、誰かがそれに自然と共感して寄ってきてもらう方が「音楽」だと思ったんですよ。それこそ、シューゲイザーの人たちってボソボソ歌うじゃないですか。シューゲイザーが好きな理由ってそういうところで。「足元を見つめる音楽」に共鳴する人たちがたくさんいたからシューゲイザーという文化ができたと思うんですけど、そういうものをシューゲイザーのフォーマットにとどまらず、「音楽」というもっと広いものでやってみたかったのが今作なのかな。自分が思っていることを言い切る、ちゃんと書き切ることが大事な作品だったのかもしれないです。
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