■ 日本のシューゲイザー・シーンに触れて今に至った
── そもそも、バンド名はどうやって付けられたのでしょうか。
Kitamura:ユニット時代からあった「Blue Swirl」とかが、海や波をイメージした曲だったので、そのイメージとドリーミーな雰囲気を出したくて付けました。最初は「soft」と「surf」が離れてたんですけど、Yutakaさんが「くっつけちゃった方が良いんじゃないですか」って提案してくれて。そうした方がSNSとかの検索でも引っ掛かりやすいんじゃないか、という。
Yutaka:あと字面のデザイン的にもその方が良いかなと。2つの単語がスペースを空けて並んでるより、1つの単語にしちゃった方が新しい言葉みたいに見えて気になってもらえるかな、っていう。
Kitamura:実際にくっつけてみたら、文字の大きさ的にも長さ的にもちょうど良くて。気に入ってるバンド名です。あと「surf」って言葉を使ったのは…ジャンルは全然違うんですけど、The Beach Boysをよく聴いてる時期があって。「Surf’s Up」っていう、結構ドリーミーな感じの曲があるんですけど、それを若干イメージしたところもあります。
── それは意外でした。でも字面もそうですが、響きもバンドのイメージや曲の雰囲気に合ってますよね。そんなバンド名とも絡んできそうですが、活動する上でのコンセプトなどはあるのでしょうか?
Kitamura:前身のユニット時代から、海外のシューゲイザーとかドリームポップがメインのコンセプトでした。SlowdiveとBeach Houseを混ぜた感じでやりたい、っていうのが出発点で、今でもある程度それが理想です。ただ、活動する中でメンバーそれぞれの音楽性も混ざってきて、独自色っぽい感じも出てきてると思います。
── 先程も仰ってたように、メンバーそれぞれの音楽的なバックグラウンドが異なるので、それで上手く化学変化が起きているんでしょうね。その部分をもっと掘り下げたいのですが、皆さんはどういったアーティストや作品に影響を受けてきたのでしょうか。
Kitamura:音楽としてあんまり意識して聴いてなかった時代から言うと、子供の頃に父親がThe Beach BoysだったりThe Beatlesとかを車でよく流してたので、無意識のうちにその二つのバンドの曲は結構知ってる、みたいな状態になって。大人になってからも聴くし、洋楽好きのベースになってるというか、自分が思ってるよりも影響を受けてると思います。
趣味として聴くようになったのは中学生とか高校生くらいの頃ですかね。最初はGLAY、X JAPAN、B’zとか、当時流行ってたバンドから入りました。高校時代はそこからメタルばっかり聴いてた時期とかもあって。笑 大学でバンドサークルに入ったんですけど、当時も基本はメタルが好きでした。でも、途中でプログレとかそっちの方に傾倒するようになって。特にPink Floydが好きだったんですけど、さらにそこからサイケデリックな方に流れていく中で、サークルのメンバーからMy Bloody Valentine(以下マイブラ)を紹介されたのが、シューゲイザーとの最初の出会いだったと思います。
Kitamura:マイブラは最初、そこまでピンと来なかったですね。ヴォーカルもほぼ聴こえないし、こんな音楽があるんだ…くらいにしか思ってなくて。でも印象に残ってたのは確かで、大学を卒業してからシューゲイザーを色々と聴いてみたら、徐々にハマっていきました。2010年くらいからフジロックにも行き始めて、さらに色々なジャンルを聴くようにはなったんですけど、当時はシューゲイザー/ドリームポップのバンドも結構出てたので、実際に観てもっと好きになりましたね。
── マイブラ、もとより『Loveless』を初めて聴いた印象は、僕もKitamuraさんと近かったです。最初は全然良さが分からなかったんですよ。笑 なんだこれ?みたいな。
Kitamura:ジワジワ来るタイプの音楽だとは思います。笑 理解するのに時間がかかるというか。あと、大学のサークル内では当時ポストロックが流行ってたので、シューゲイザーを聴くきっかけはその影響も大きいと思います。ポストロックとシューゲイザーって近い部分があるというか、ポストロックの源流がシューゲイザー、みたいなところもあると思うので。
── Yutakaさんの原体験はどうでしょう?
Yutaka:小学生の頃から流行りのJ-POPを好んで聴いてた記憶はあるんですけど、中学生くらいの頃から特定のアーティストに夢中なったりするようになりました。10代半ばに出会ったPIERROT、Plastic Tree、DIR EN GREYなどのバンドが今も大好きで、特に影響を受けてます。あと非日常感を味わえるような音楽に惹かれるようにもなって、民族音楽とか宗教音楽も聴いてましたね。壁を作らないで視野を広げていくのが楽しくて、学生時代は色々漁って聴いてました。
シューゲイザーに辿り着いた経緯は…僕が大好きだった殻というバンドに元Plastic Treeのササブチヒロシさんがサポートで参加する、っていう僕にとってはかなりびっくりで嬉しい出来事があったんですが、さらにその後、なんとササブチさんと殻のギターの渡辺清美さんが新たにバンドを結成するという…しかも他のメンバーも錚々たる面子で。そのバンドが東京酒吐座(Tokyo Shoegazer)なんですが、僕がシューゲイザーに興味を持つきっかけになりましたね。
── なるほど、そうやって繋がっていく訳ですね。僕の中でYutakaさんは、完全にPlastic Tree(が好きな人)っていう印象なのですが…。
一同:笑
── そこからシューゲイザーに繋がっていった、という。
Yutaka:昔、Plastic Treeがライブのツアー名で「シューゲイザー」って言葉を使ってた記憶はあるんですけど(※Plastic Tree Tour 2002 Shoegazer)、その時はシューゲイザーが何なのか全然知らなくて。Plastic TreeはライブのオープニングSEでマイブラの「Only Shallow」を使ってるんですけど、そういうのも後から知ったことで。
それで、東京酒吐座に出会ったちょっと後くらいだったと思うんですけど、溶けない名前やmiiiiaといった面々の名をよく目にするようになって、ちょうどその2バンドが対バンするというので観に行ってみて、その時期から名古屋のシューゲイザー周辺のバンドのライブを観に行くことが多くなりました。なのでマイブラとかSlowdiveのような海外バンドから入った訳ではなく、日本のインディーズのシューゲイザー・シーンに触れて、今に至ったという感じですね。
── Satomiさんはどうでしょうか。
Satomi:私も中学とか高校くらいまではテレビで流れるような音楽しか聴いてなくて。ただ、ちっちゃい頃からピアノをやってたり、中高では吹奏楽をやってたりで、音楽はずっと続けてました。それで、一番影響を受けたアーティストを挙げるなら…大学生の頃から10年くらいずっと好きなんですけど、VELTPUNCHって答えます。シューゲイザーってツイン・ヴォーカルも多いと思うんですけど、そもそもツイン・ヴォーカルをかっこいいって思うようになったのはVELTPUNCHがきっかけです。私、元々ベースなんですけど…。
── なんと、そうでしたか。
Satomi:大学の軽音楽部からずっとベースをやってます。当時、私がベース/ヴォーカルでVELTPUNCHのコピー・バンドをやってたんですけど、卒業してからも同じメンバーでオリジナルのバンド(フユフユウ)を続けてて。卒業するとバンドから離れちゃう人も多いと思うんですけど、ずっと好きなメンバーたちとバンドをやれてるので、めちゃくちゃ楽しくて。そういうのもVELTPUNCHのおかげだと思ってます。
シューゲイザーには、私もYutakaさんと同じく日本のバンドから入りました。フユフユウのギターの子から死んだ僕の彼女、少女スキップ、Luminous Orangeとかを教えてもらって、そこから入って。なので、私もマイブラとかを知ったのはその後なんですよね。今もどっちかというと、日本のシューゲイザー・バンドの方が聴きやすいです。それから自分でも色々調べて聴くようになって、Total Feedbackとか、Lemon’s chair主催のJAPAN SHOEGAZER FESTIVALとかを、一人で東京まで観に行ったりするようになりました。
シューゲイザーで一番影響を受けたバンドは、6〜7年前くらいにTotal Feedbackで初めて観たbroken little sisterで。一曲目に「Colour」って曲をやってたんですけど、照明が上がってギターの音が流れた時に、めちゃめちゃかっこいいなって。その瞬間を今でも思い出せるくらいの感動でした。broken little sisterも歌詞が英語で、Macの同期でライブをやってるので、そこはsoftsurfとの繋がりが自分としてはありますね。
── Yutakaさんもですが、日本のバンドがシューゲイザーの入り口になったのは、バンドマンならではの要因もあったのかな、と思ったりしました。バンドをやってるからこそ、そうした繋がりが近いというか、そんな印象を受けました。
Yutaka:それはあるかもしれないですね。
■ DREAMWAVESからリリースできて良かったです
──『Returning Wave』の制作は、どういったところから進んでいきましたか?
Kitamura:2019年の年末くらいから(新作を作る)話はしてて、2020年の年明けから動いてたんですね。ただ、その時期にちょうどメンバーチェンジがあったり、コロナが流行り出したりして、かなり作業が滞ってしまいました。
Yutaka:実はリズム隊のレコーディングを行ったのは2020年の3月なんですけど、その直前に前任のヴォーカルさんが脱退してしまって。ただ、リズム隊はもうスタジオの予約もしてたので、予定通り録ったんですけど。その後は滞ってました。
── 楽曲自体はその時点であったのでしょうか?
Yutaka:2019年頃からプリプロとか、アレンジを詰めていく作業はずっとしてましたね。
── そこから制作が本格化したのは、どういうタイミングでしたか?
Kitamura:一番最初の緊急事態宣言(2020年4月〜5月)が落ち着き始めた頃から、Satomiさんも既に加入してたので徐々に進めていこうってなって、その年の夏くらいに僕のギターとかを録り始めました。でも、続けてヴォーカルとかMaruyamaさんのギターも録りたかったんですけど、そこからまた第2波が…ってなってしまって、なかなかバンドで集まれる機会もなくなったり、その影響で僕のテンションも落ちちゃって、そうこうしてるうちに2021年になってしまいました。ただ、そこからまた「ちゃんと完成させたい」って思うようになって、4月くらいから録音を再開して、春から夏にかけてミックスとマスタリングもして、なんとかリリースに漕ぎ着けました。
── 想定より制作期間がだいぶ伸びてしまったんですね。
Kitamura:当初のリリースは2020年の夏くらいでした。
── オンラインで作業することも多かったんでしょうか?
Kitamura:プリプロとかはオンラインが多かったですね。そもそもメンバーそれぞれ住んでる場所が全然違うので、基本的には僕が誰かと会って録音してみて、それをネット上で展開して、みんなに聴いてもらって…っていうのが多かったです。ただ、やっぱりコロナで全員が集まれる機会は減っちゃったので、その部分ではだいぶ遅れたのかなとは思います。でも、最終的には良いものができました。
── 時間を要した分、こだわったり突き詰められた部分はあったりしますか?
Yutaka:それはあるかもしれないですね。プリプロ期間にはなかったアレンジを後から追加したり、なんだかんだ時間を有効活用できたのかなと。
Kitamura:あと、Satomiさんのヴォーカルに関しても加入直後より時間を置くことで、ある程度イメージできた上でレコーディングに臨めたんじゃないですかね。
Satomi:そうですね。英詞で歌うのが初めてだったのもあったので、歌い方とか発音の仕方は、時間を作れたことで練習やイメージができたと思います。
── ヴォーカルに関して、具体的なリファレンスはあったのでしょうか。
Satomi:声の出し方だと、Spangle call Lilli Lineとか揺らぎみたいな、あんまり声を張らないで歌うバンドを参考にしました。あと、やっぱりどうしても海外のバンドみたいなネイティブの発音にはなれないので、それこそbroken little sisterとか東京酒吐座とか、日本人だけど英詞のバンドを聴いて、どういうふうに歌ってるのか確認したりしてましたね。
── なるほど。それにしても結果オーライというか、長い制作期間が良い方向に働いたことも少なからずあったんですね。
Kitamura:確かにそうですね。最終的にはその分、クオリティの高いものにすることができたと思うので。もっと早くリリースしてたらできてなかったこともあったと思います。
── 今作のリリース元は、2020年に発足した名古屋のシューゲイザー・イベント「DREAMWAVES」が新設した同名のレーベルでした。こちらに決まった経緯をお聞きしたいです。
Yutaka:DREAMWAVESで流通やディストリビューション業務をやるかも…みたいな話は少し聞いていたんですが、当初は別のところで流通をお願いする計画になっていて、いざ正式に流通の話を進めようという時にちょうどレーベルが始まる話を聞いて、急だったんですけどお世話になることに決まりました。
Kitamura:めっちゃくちゃ急でしたね。笑
一同:笑
Kitamura:僕もDREAMWAVESがレーベルをやるって話はなんとなくしか聞いてなかったんですけど、音源が完成した後にYutakaさんから改めて話を聞いて、思いつきでバタバタしながら相談して話を進めていって、最終的にお願いする形になりました。
── でも、それこそDREAMWAVESには元ディスクユニオンの小野肇久さんがいらっしゃいますし、『シューゲイザー・ディスク・ガイド revised edition』でsoftsurfのコメントを書いているのも小野さんだし、そこはうまく繋がったのではないでしょうか。
Yutaka:そこは僕も良かったなと思いますね。
Kitamura:そもそもシューゲイザー系のレーベルって、国内だと数えるくらいしかないし、大半が東京とかなので、そういう意味ではたまたま身近なところにできたレーベルでした。イベンターのマシューさん(※DREAMWAVESの共催者で、ブログ「Muso Jaoan」の運営やラジオ番組DKFMのDJも務めている)も、ずっと前から僕らのことを取り上げてくれてたので、DREAMWAVESからリリースできて良かったです。
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