Posted on: 2021年3月25日 Posted by: 對馬拓 Comments: 0

Label – ポリドール
Release – 1991/03/25

同日、デビューシングル『ヒバリのこころ』と共にリリースされた、スピッツの記念すべき1stアルバム。

草野マサムネは元々パンク・バンドで活動しており、スピッツ結成後もTHE BLUE HEARTSの影響下にある音楽性を引きずっていたが、当時出演していた渋谷ラ・ママのスタッフの助言により方向転換。草野がアコースティック・ギターを持ったことで徐々に知名度を上げ、メジャーデビューへと繋がった。しかし、彼らのパンキッシュな精神は別の形で表出している。

スピッツの楽曲の歌詞は、特に初期においては「死」と「セックス」をテーマとしたものが大多数を占めており、本作はその源流といえる。直接的な例を少し挙げるだけでも、“ おなかのうぶ毛に口づけたのも”(「ニノウデの世界」)、“ 空色のナイフを手に持って/真赤な血の海をとび越えて来たんだよ”(「ビー玉」)、“ 死神が遊ぶ岬で/やせこけた鳥達に会おうか”(「死神の岬へ」)“殺してしまえばいいとも思ったけれど/君に似た/夏の魔物に会いたかった”(「夏の魔物」)といった具合だ。キャリアを重ねるごとに歌詞の方向性は様々な広がりを見せていくが(とはいえ草野が持つ思想の根幹は、おそらくそれほど変化していない)、当時のスピッツは死生観と性的衝動をぐちゃぐちゃにかき混ぜて濃縮したような、猛暑に脳がやられて幻視した夏の桃源郷のような、明らかに危険で蠱惑的な香りを放っていた。

しかし、スピッツはそんなどろどろの詞世界(あるいは私世界、もしくは死世界)を、秀逸なメロディセンスと透明感溢れるイノセントなヴォーカルで紡ぎ、あろうことかポップソングとして成立させた。彼らが末恐ろしいのは、まさにここだ。違和感なく聴かせるナチュラルな譜割と、隠喩が過剰なほど多用され、文字列をじっくり眺めても難解な歌詞が、その事実にさらなる拍車をかけているのも厄介極まりない。美味しそうなグミかと思って口に運んだら、実は毒を持った意味不明な虫なのである。

もちろん、このアルバムにはシューゲイザーの精神もしっかりと息づいており、そのことは「1991年」という数字が如実に物語っている。前年、Rideの1stアルバム『Nowhere』がリリースされた当時のUKにおいて、シューゲイザーは黄金期を迎えようとしていた。『スピッツ』と同年の11月にMy Bloody Valentineが『Loveless』をリリースしたのも周知の通りだ。この事実を踏まえると、本作で鳴らされる歪んだギターサウンドやネオアコ調のアレンジ、後に「ロビンソン」のヒットで彼らのアイデンティティにもなった流麗なアルペジオなどは、シューゲイザーやその周辺のギターポップの文脈で捉えることができるだろう。また、スピッツのほぼ全てのアルバムに貫かれた「ジャケットにアーティスト写真を使用しない」という意向がCreation Recordsのバンド群に倣ったものであり、それが本作から意識されたという点も看過できない。

そんなアルバムが、リリースから30年を迎えた。90年代以降におけるJ-POP史の異形として、そしてスピッツの紛れもない原点として、当時を知らないリスナーにも脈々と聴き継がれ、いつまでも不敵な輝きを放っていくことだろう。